せとるこの日々

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抗がん剤治療中の小旅行

実家の母には多くの兄弟がいる。
その中で10歳年上の姉はアメリカ人と結婚してアメリカに60年くらい住んでいる。
その母の姉である伯母が人生最後の日本旅行に来ると言う。
私は学生時代に1ヶ月ほどアメリカの伯母の家でお世話になったので、これは会いに行かねばならない。

「次の点滴は担当曜日の変更で4月6日で。」
と主治医が言った。
「4月14から16日に動きたいので、もう少し前か、もっと後でお願いします。」
3月初旬に伯母の来日日程を聞いていたので、3回目の点滴日を調整してもらって4月3日の『営業』先生の日になった。
4月6日が点滴だったら、14から16日に「絶対動けない」という自信があった。

伯母は若い頃、大阪と滋賀に住んでいたので、前半は大阪、後半は滋賀のホテルに滞在した。
8日間の滞在で2日ずつ母の兄弟が交代で接待することになった。
私と母は最後の2日の4月15,16日担当となったので、1日前の14日に滋賀に行くことにした。

伯母は旦那と娘と孫の4人で人生最後の日本旅行にやってきた。
3年前に脳梗塞をやっていたが、歩行器があったら問題なく歩ける、という感じだった。
よほど日本に来たかったようで、とても元気だった。

ここ数ヶ月で何度か入院をして慣れているのか、我が家も私が2泊3日で家を空けることに特に問題は無かった。
遊びで2泊3日家を空けるなんてじーちゃんがアルツハイマーになってから初めてである。

2週間前に片付けをしただけで腰痛、下痢、痔に襲われた私はやや不安であった。
病院で処方してもらっている薬をカバンに入れ、最悪ホテルで横になって過ごす覚悟で滋賀に行った。

「伯母さんに日本を満喫してもらわねば!」
と、気合を入れて接待していたら、体はなんともなかった。
というか、伯母家族だけでなく、母や他の親戚の面倒も見ていたら、あっという間に時間が過ぎてしまったのだ。
必死に何かをやっていると抗がん剤の副作用が出てこないのか。

伯母家族を関空で見送り、愛知の我が家に戻って2日間は動けなかった。
だが、腰痛、下痢、痔にはならなかった。
よく分からない。

それから2週間後に「日本滞在中はありがとう!」という手紙が伯母家族から届いた。
手紙と一緒にホテルで撮った集合写真があった。
写真の私の顔はパンパンにむくんでいた。
その時はむくんでいたことも知らなかった。
副作用は気持ちでコントロールできるのだろうか。