せとるこの日々

更年期 ああ更年期 更年期

約12年ぶりの連絡

今週のお題「行きたい国・行った国」

1月中旬、母の四十九日法要が終わった頃、今は介護が必要な人もいないし、コロナも少ーし落ち着いてきたから、好きな国トルコに行きたいなあ、と航空券を検索してみた。

今年トルコは共和国建国100周年。
何か催しがあるかも、と期待しながら航空券を見たら物凄くチケット代が高くなっていた。
しかも今はロシア上空を飛べないとかで迂回して飛行時間が物凄く長い。

ただのお気楽な観光でこのチケット代にこの移動時間は、うーん。
と考えていたらトルコで大地震が起きた。

ニュースを見てすぐイスタンブールの友人に
『最小限の被害で済むことを祈ってる』
とメールを送った。すると
『これからもっと被害が酷いことが明らかになっていくよ。』
と返信がきた。
日本のニュースは断片的だが、イスタンブールでは詳細なニュースが報道されていたんだな。

友人の言う通り日々甚大な被害が伝えられた。

1999年のイズミット地震の時、私はイスタンブールにいた。
その時私の住んでいた地区は震度3くらいだったが住んでいた建物にヒビが入った。
1キロ先の建物が崩壊していた。
震度3で?と思った。

それから四半世紀近く過ぎて耐震性は上がっただろうが、日本ほどではないようだ。
しかも直下型の地震でエネルギーが阪神大震災の20倍とのことで凄い地震だったんだな。

数日して被害が大きい地域としてシリアに近いハタイが報道された。
ハタイには友人がいる。
でも10年以上連絡を取っていない。
こんな時だけメールするのも野次馬みたいだなあ、と少し躊躇した。

だが連日ハタイの映像が流れたらどんどん心配になっていった。
メールアドレスを探したらすぐに出てきた。
件名に私の名前を入れて
本文に『NASILSIN? (How are you?)』とだけ書いて送ってみた。

返事は期待していなかった。
だが、翌日返信があった。
『友よ。私も家族も無事で庭で生活してる。』
無事を知らせるメールに安堵した。

私は嬉しくなって長文のメールを送った。
それに返信は無い。
おそらく電気も安定していないんだろう。
やらなきゃいけないことが多くて、でもまだ動けなくてたいへんな状況なんだろう。
そんな中、無事を知らせる返信をしてくれたことに感謝した。

彼女とは20数年前、ダマスカスに行くバスで出会った。
アラビア語が習いたかった私がダマスカス大学(ダマ大)の語学コースに行く予定だというと、彼女はダマ大の学生さんだった。
祝日を実家で過ごし、学生寮に戻るところだった。
当時はシリアが近いためハタイからダマ大に進学するアラブ系トルコ人は結構いた。

バスを降りてそのまま私が住む所を見つけるまで、彼女の部屋に居候させてもらった。
役所の手続きをするのに彼女の友人が付き添ってくれた。
私の差し歯が取れた時、歯学部の子に「何とかしてあげなさいよ!」と言って歯医者さんを紹介してくれた。

書き出すと物凄くお世話になっているではないか。
その後何度かハタイの実家にも遊びに行った。
少し郊外の持ち家2階建広いお庭付きの家だった。

残っていたメールの日付けを見たら2008年だった。
てことは15年ぶりか?と思った。
だが、東日本大震災の時にメールをもらったことを思い出した。
私の住む地域は問題ないと返信した覚えがある。
日本の地震でメールをもらい、12年後にトルコの地震でメールを送るって。

何年も連絡を取っていなかったので、もうハタイに行く事はないだろうなあ、とたまに思うことがあった。
でも12年ぶりに連絡を取って、いつかまたハタイに行って彼女に会いたいと思った。

今年はトルコに行ったつもりで継続して寄付をすることにした。
これ以上地震が起きませんように。