せとるこの日々

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母の葬儀

母の葬儀は本人の意思もあり、家族葬にした。
CMでやっているような最低限なもので良かったのだが、最後ということもあるし、湯灌の儀がついている家族葬パックというものにした。

月曜日の早朝に亡くなり、夕方に湯灌の儀、火曜日に通夜、水曜日に告別式、という流れになった。

湯灌の儀で妹に20数年ぶりに会った。
「お久しぶりです。お母さんが来るなっていうから、会いに行っていませんでした。」
想像はついたが、言い訳から始まった。

母は「来なくていい。」と私にも言った。
でも、私は心配なので連絡をとって会っていた。

また、母から妹の手紙を見せてもらったことがあった。
『連絡はしてこないで下さい。』とワードで書かれたものがあった。
そのことについて私は何も言わなかった。

1日目は家に帰る人がほとんどだと式場の人に聞いたので、湯灌の儀が終わって家に帰った。

2日目はお昼まで雑用をして、岐阜の85歳の伯父を旦那と車で迎えに行った。
伯父は2年前に腰の手術をしたというので、公共交通機関で来てもらうのも悪い。
迎えに行ったら、思いのほか元気に歩いていた。よかった。

お通夜は私と旦那、妹と伯父の4人だけだった。
お寺との付き合いがないので、式場が紹介してくれたお坊さんが来た。
淡々と通夜は行われ、あっという間に終わった。

旦那が家に帰り、私と妹と伯父が控室で泊まった。
伯父は明るくよくしゃべる人でずっとしゃべっていた。
伯父がいてくれて助かった。
母の昔の話も聞くことができた。

3日目は午前中に告別式を行った。
これもあっという間に終わった。
参列者が少ないとあっという間に終わるものなんだな。

火葬場から帰り、お斎で葬儀場での一連の儀式は終わった。

妹が「お母さんが亡くなったから、緊急連絡先をお姉ちゃんのところにしていいですか?」と言った。
20年以上会っていなくて、母の面倒も見てなくて、お金にルーズな妹の緊急連絡先?

「一番上のお姉の住所にしとけば?」私が言った。
「そんな、住所知らないし。」と妹。

そのやりとりを見かねた伯父が、「わしのところを緊急連絡先にせい。」と言ってくれた。

帰りの車で私は伯父にお礼を言った。
「おまえの気持ちも分かるし、わしんとこの子供も連絡のない兄弟の保証人は断っとったわ。
何か連絡があったらおまえにも知らせるから。」
と言ってくれた。

葬儀が終わるまで姉からの連絡は無かった。
今まで普通の家庭で育ったつもりでいたが、実家は結構イタイ家庭だったようだ。

この葬儀では伯父と旦那に心から感謝した。