せとるこの日々

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やっぱりじーちゃんの話

お題「#この1年の変化」
この1年全世界共通の話題はコロナ禍ということだった。
自分はたまたま職を失うこともなく、感染することもなく、この1年は過ごせた。
早く収まるといいな。

去年の今頃はじーちゃん(義父)の認知症の悪化に右往左往していた。
認知症と診断され、9年間は一進一退だったが、介護サービスを受けながら家で過ごすことができた。
悪い時以外は自分でトイレも食事も出来た。

10年目の昨年、急激に調子が悪くなった。
トイレの場所が分からなくなり、せん妄が見えるようになった。
意思の疎通も難しくなりつつあり、介護施設への入所を検討し始めた。

今まで悪くなっても普通に会話できるまで回復することがあったので、良くなるかも、と期待する気持ちもあった。
だが、どんどん壊れていくじーちゃんを見るのが辛くもあった。

そんな時、じーちゃんは脳梗塞になり入院した。
5月下旬だった。
そのまま2ヶ月入院して、7月下旬じーちゃんは88歳8ヶ月で息を引き取った。

死因は『老衰』と書かれていた。
老衰ということは天寿を全うしたと思っていいのかな、と都合よく解釈したりした。

じーちゃんがいなくなって寂しくなった。
とっても寂しくなった。
でも遺影の笑っているじーちゃんを見てホッとする。

壊れていくじーちゃんが永眠したことにホッとする自分もいた。
もう苦しまなくていいんだよ、と思った。

そして、自分の時間が増えた。
じーちゃんがいなくなってすぐは、「おおー、時間があるー!」と喜んで普段掃除しないようなところを毎日掃除していた。

じーちゃんが亡くなって半年以上たつ。
慣れとは恐ろしいもので、時間があるー!と喜んで掃除していた時間がいつの間にか無くなっている。
それだけダラダラする時間が増えてしまったようだ。

土曜日の午前はじーちゃんのかかりつけ医で半日使っていたのが、今は録画した番組を見るぐうたらな時間になってしまった。
はじめの頃は「これで片付けが出来る!」なんて気合入れていたのに・・・。

きっとぐうたらな私をじーちゃんは笑って見てくれていると思う。

先日、旦那があくびをしたらじーちゃんにそっくりだった。
「あくびがじーちゃんだ!
じーちゃん元気かなあ・・・。」
私が呟いた。

「じーちゃんはこの世にいません!」
旦那は冗談交じりの口調でそう言った。
まあ、そうなんだが、あの世というものがあるのなら、あの世で先に亡くなった奥さんと娘さんと仲良く元気に過ごしていて欲しいなあ、と思う。